店主の紹介
経 歴
1984年八女高校卒
1988年立命館大学産業社会学部卒当時の卒論
豊橋飼料(株)→久間マルト販売(株)
今まで行った主な活動
・上陽町議会議員
・上陽町商工会青年部・(社)八女青年会議所・上陽町消防団
現在
・久間マルト販売(株)代表取締役・(有)九州エコシステム取締役社長
・上陽町商工会監事・八女法人会
・ 家族 妻・子ども2人
卵とのファーストコンタクト
養鶏をやっていたので私が生まれたときぐらいから、ニワトリが家にいました。タマゴが当たり前のようにある生活です。仕事が忙しいときは、手伝ったりしていました。タマゴのサイズ、見分け方など自然のうちに覚えていました。
高校生の頃もたまにですが家の仕事を手伝っていました。暑い夏に養鶏場の建設工事にかり出されたこともありました。
大学では公害問題のゼミに所属しました。今でこそ環境問題は重要視されるようになってきましたが、当時は就職に不利とされ言われていました。ここで運命の師である川俣教授と出会いました。人間中心の社会のあり方ではなく、広く物質の循環の中で人間も加害者であり被害者であるということを学びました。この考え方こそが私の生き方を決定したとつくづく思います。当時の卒論
和食のたまごに至るまで
25才の時インドへ行きました。
インドは憧れの国です。ヘルマン・ヘッセの「シッダールタ」や尊敬するガンジーのいたところ、それだけで十分でした。ビートルズも好きで、あの音楽も多少影響したのだとも思います。行きの飛行機だけ手配して単身乗り込みました。ニューデリーからバラナシ、カルカッタとガンジス川を下っていき、ニューデリーへ戻ってジャイプールへ行きました。
インドという国は人がたくさんいて騒々しい国です。ある方がおしゃられてありましたが、両手の人差し指と親指とでフレームをつくって写真を撮るようにのぞくと、必ず人がいたり、絵になるといったことを聞いたことがあります。
ガンジス川で泳いだとき、川の横では牛がさまよい、洗濯する人がいたり、沐浴する人がありました。私の他に子どもや犬が泳いでいます。灼熱の40度のなか、たき火をしているのかと思えば、なんと火葬をしているではありませんか。これほどに生と死が隣り合わせているところは他にありません。生きることは何かを考えた貴重な体験でした。 飼料鶏卵販売の仕事は休みがありません。生き物相手なので宿命ともいえます。しかし、仕事があるというのは本当にいいことだと最近よく思うようになりました。
地元の人がたくさんいる安い店は、熱風をかきまわすように天井のプロペラがまわっている。ラジカセからはボリュームを最大にして割れんばかりの音で音楽が流れている。
学食に出てくるようなステンレス製のプレートにカレーとナンやときにはインディカ米がつがれ、ラッシー(ヨーグルトジュース)も時には飲む。食べ終わると薄緑色した米粒のようなカルダモンの粒が出てくる。インドといえばカレー。毎日カレーとナンを食べていました。飽きないかと思われるでしょうが、これが飽きないのです。
それというのもカレーといってもいくつもの種類があり、辛いモノがある一方で、みそ汁のような感覚で食べると言うより飲むカレーもあるのです。もちろん辛くありません。このようにスパイスの調合次第で様々なカレーがあるのです。ターメリック(ウコン)、クミンシード、チリパウダー、ブラックペッパー、ホワイトペッパー、シナモンなどの組合せで幾重にも味の表現があることがよくわかりました。
和食のたまごをつくるにあたり、カレーをつくる手法(といっても原料を選んで混ぜるということですが)で味をブレンドさせていくことを応用させました。