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  和食のたまごを生産販売している私の仕事観
 
卵との接点は
 

 私が生まれたときぐらいから、ニワトリが家にいました。タマゴが当たり前のようにある生活です。仕事が忙しいときは、手伝ったりしていました。タマゴのサイズ、見分け方など自然のうちに覚えていました。当時の洗卵機は、単列式で、幅1m長さ3mくらいの緑色のところに各サイズのタマゴが出てくるようになっていました。サイズの仕切は鉄の棒で、Lサイズに卵が集中すると、その仕切棒が動いて、Mサイズを圧迫するという感じでした。うーん、あれを説明するのは難しい。
地元の幼稚園・小学校・中学校、そして筑後にある八女高校に行きました。黒木瞳や田中健が卒業生です。高校生の頃もたまにですが家の仕事を手伝っていました。

 
考え方の原点
 

 そして私は京都にある立命館大学産業社会学部へ進み、3回生からは公害問題のゼミに所属していました。川又淳司教授はチッソを辞め、薬学部大学院を経てきたという経歴の方でした。人間中心の社会のあり方ではなく、広く物質の循環の中で人間も加害者であり被害者であるということを学びました。当時は公害問題を勉強していると企業から冷遇されるという風潮でしたが、その後社会全体が環境を考える時代に変わってきて、あのとき勉強しておいたことがいかに大事なことであったかを悟るようになってきました。

 自分なりにいろいろ考えて食ということにテーマをしぼって論文を書きました。今読み返すと稚拙な内容ですが、当時出たばっかりのワープロを使って書いていて、私ごとながら力強くけっこうはっきりとした考えで書いていたなあと思います。当時の卒論

 本は良く読むほうですが、この頃ほどたくさん読めたときはなかったのではと思います。加藤周一に影響されてひろく多読乱読してドストエフスキーから雑誌までいろいろ本を読みました。下宿には大学時代テレビがなかったことも、当時は今ほどにパソコンが発達していなかったためでしょうか。

 
ヤクルト古田と同期なんです
 

そうなんです。実は大学時代は体育会自転車競技部に所属しておりました。同じ体育会ということで当時から注目を浴びていたのが古田でした。と、こういう書き方をするとよく知っているかのように思われるかもしれませんが、どこかで一堂に会したという程度です。
大学時代唯一誇れるのが部活をがんばったことです。戦績はたいしたことありませんでしたが、大学を背負って勝負を挑んでいました。とは言え他大学の仲間とも仲良くなって、海水浴に行ったり(男ばっかり20人)、合宿を行ったりしていました。

 
衝撃の5分
 
 その後就職して愛知県にある豊橋飼料(株)という飼料メーカーに2年おりました。1年は新城にある養鶏試験場で働き、1年は豊橋市内で玉子の販売に従事しました。

 養鶏試験場のすぐ横に寮があって、住み込みで働いていました。寝食のうち寝はニワトリと一緒だったのです。ここでは当時導入されたばかりのウインドウレス鶏舎と従来通りの解放鶏舎の両方で飼育や玉子採りをやっていました。ニワトリのえさづくりに携わるものであれば誰でも知っているスコット博士に会うことができたのもこの頃でした。ニワトリの生態について知るようになったのもこのときでした。

 1年後、次に丸ト鶏卵販売(株)というところで玉子の販売。豊橋市は喫茶店がたくさんあって、軽トラックで多い日は1日60軒まわっていました。一時期は地元の方よりたくさん喫茶店の情報を知っていました。

この頃ある食品メーカーがフリーズドライの玉子スープを販売し始め、私も配送の合間を縫ってこの売り込みをしていました。いつも配達に行く中華料理屋に営業開始。時間削減になる上、味もおいしいですよと自信満々にすすめました。話を聞き終えた店主が何も言わずおもむろに鍋を取り料理をつくりはじめました。そして出てきたのはおいしそうな玉子スープ。

食べてびっくり。おいしい。それに素材感やゆげの出方までも全く違う。17年前の出来事ですが、今でも鮮明に覚えています。時間にすれば5分ぐらいのことですが、自分の生き方を考えさせられた貴重な時間でした。
 


インド放浪1
 


 豊橋飼料(株)にはもう少しいる予定だったのですが、家業である飼料鶏卵販売の方へ急きょ戻ることになりました。豊橋飼料と合弁で会社を設立して1年目だったため、バブルの当時は単純に人手が足りなかったということもあったようです。

 後ろ髪をひかれながら愛知県を後にして、九州へ戻りました。戻ってすぐ、今ぐらいしか自由になる時間がないかもしれないと考え、15日間インドへ行きました。

インドは憧れの国です。ヘルマン・ヘッセの「シッダールタ」や尊敬するガンジーのいたところ、それだけで十分でした。ビートルズも好きで、あの音楽も多少影響したのだとも思います。行きの飛行機だけ手配して単身乗り込みました。ニューデリーからバラナシ、カルカッタとガンジス川を下っていき、ニューデリーへ戻ってジャイプールへ行きました。

インドという国は人がたくさんいて騒々しい国です。ある方がおしゃられてありましたが、両手の人差し指と親指とでフレームをつくって写真を撮るようにのぞくと、必ず人がいたり、絵になるといったことを聞いたことがあります。

ガンジス川で泳いだとき、川の横では牛がさまよい、洗濯する人がいたり、沐浴する人がありました。私の他に子どもや犬が泳いでいます。灼熱の40度のなか、たき火をしているのかと思えば、なんと火葬をしているではありませんか。これほどに生と死が隣り合わせているところは他にありません。生きることは何かを考えた貴重な体験でした。

 飼料鶏卵販売の仕事は休みがありません。生き物相手なので宿命ともいえます。しかし、仕事があるというのは本当にいいことだと最近よく思うようになりました。

 

   

インド放浪2

   
地元の人がたくさんいる安い店は、熱風をかきまわすように天井のプロペラがまわっている。ラジカセからはボリュームを最大にして割れんばかりの音で音楽が流れている。
学食に出てくるようなステンレス製のプレートにカレーとナンやときにはインディカ米がつがれ、ラッシー(ヨーグルトジュース)も時には飲む。食べ終わると薄緑色した米粒のようなカルダモンの粒が出てくる。

インドといえばカレー。毎日カレーとナンを食べていました。飽きないかと思われるでしょうが、これが飽きないのです。
それというのもカレーといってもいくつもの種類があり、辛いモノがある一方で、みそ汁のような感覚で食べると言うより飲むカレーもあるのです。もちろん辛くありません。

このようにスパイスの調合次第で様々なカレーがあるのです。ターメリック(ウコン)、クミンシード、チリパウダー、ブラックペッパー、ホワイトペッパー、シナモンなどの組合せで幾重にも味の表現があることがよくわかりました。
和食のたまごをつくるにあたり、カレーをつくる手法(といっても原料を選んで混ぜるということですが)で味をブレンドさせていくことを応用させました。

    生死をさまよい
   

さて家業である玉子の仕事をはじめて慣れてきて半年、北九州市の同業者へ玉子を3トントラックで運んでいました。高速道路の長いトンネルを抜けたところで前輪タイヤがパンク、すぐに路肩に寄せ、側にあった非常電話から電話中に後から来た大型トレーラーがノーブレーキで120キロのスピードで突っ込んできました。
私は電話ごと36メートル吹き飛ばされ、その先で大型トレーラーは横倒しになり、更に大型トレーラーが追突してきました。
私が気がついたのは病院で夜だったように思います。
頭蓋骨骨折、目の下を骨折、鼻にヒビ、、もう少しで頭と顔が分かれるところでした。
手も骨折していましたが、あの事故の程度からすれば生還できただけでも奇跡、ケガもこの程度で済んだのも奇跡でした。
意識を失っているとき臨死体験のようなことがありました。私は真っ黒の中にいて、ちょっと小高いところから先の下の方を見ています。真っ黒の中に真っ黒の水が流れているようなそんな気がしたのです。時間にすればわずかだったのですが、私が意識を取り戻すまでは7時間ぐらいかかったようで、記憶があるのはその次の日ぐらいからでしょうか。
今考えても何だったのかよくわかりませんが、この日以来死に対する考えが変わったように思います。死ぬことに対して怖いことはありませんが、かといってすぐに死ぬのはもったいないというか、生かされているのだなあと考えるようになりました。
特に強い志はありませんでしたが、生きていることのよさを、うまく表現できませんが、目に見えない何かを感じるような、そんな気がしたのでした。
波瀾万丈のはじまりです。

    28才で町議会議員選挙になる
   

若い者の声が議会に届かない、もちろんそれだけが理由ではありませんでしたが、若干28才で最下位ながらも当選しました。立候補したのは、締切の1時間前。当然、ポスターも立候補後にカラーコピーでつくりました。当選したときはうれしいと言うより、その責任の重責さに、やや暗い気持ちになりました。
その後 活動誌を発行する、一般質問をする、当時としては珍しいホームページを開設するなど自分なりにがんばっていました。

    次の選挙では完膚無き敗北
   

4年後の選挙では多数立候補者があるにもかかわらず、選挙のための活動をやっておらず、また周りも見えていなかったため落選していしまいました。責任は自分にあります。独りよがりで、だめなヤツだと自己嫌悪にも陥りました。あの敗北感、みじめさ、打ちひしがれた様、、。自分を否定されたような気持ちになるのです。

    更なる逆境が
   
その余波もあってか、個人的な問題にも遭遇し、混迷していた時期がありました。
自暴自棄とはこのことでしょうか。表面的には変わらないようで、全ての面で悪い影響を与えていたのだと思います。
    更なる逆境が
   
悪いことばかりが続き、どうなるかと思っていたところ、あることがきっかけで事態が好転し始めました。七転び八起きをモットーにがんばりはじめ、今に至ります。
   
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